自分のキャリアを大事にすることは絶対大切!
広い視野を持って、学び続けることを楽しみたい。

JCHO 桜が丘病院
院長 森典子先生

  • 大阪大学卒業後、静岡県で研修、静岡県立総合病院医腎臓内科医として勤務を続け、腎センター長、臨床工学室長から副院長となり、2022年にはJCHO桜が丘病院の院長として県立総合病院と連携をしながら地域の健康を守る仕事に携わっていらっしゃいます。
  • プライベートでは大学卒業後ご結婚されて3人の息子さんの子育てを経験者です。


01 今までの経歴を教えてください。

県外の大学を卒業後、地元の静岡県で働きたいと思い、浜松医大で研修をしました。最初は発生学に興味を持ち産婦人科に入局したのですが、結婚したら静岡市に戻ろうと思い、循環器内科に専攻を変えて静岡県立総合病院に入職ました。当時は診療科の間の垣根が低く、循環器内科と言っても消化器科や血液内科などの先生からも指導してもらっていましたが、妊娠して放射線下の治療に関わる事が難しくなったので腎臓内科を専門にすることにしました。どの分野もやればやるだけ面白いと思っていたのでその当時はこだわりがありませんでした。その後腎センター長、臨床工学室長を兼任して2009年に副院長になりました。



02 今はどのような業務を担当されていますか?

静岡県立総合病院の副院長を経て2022年4月から静岡市清水区にあるJCHO桜ケ丘病院の院長になりました。静岡県立総合病院機構と連携推進法人ふじのくに社会健康医療連合に参加して、静岡県立総合病院との協力体制のもと診療を行っている病院です。常勤医が少ないので私も救急のホットラインの当番をやる事もあります。検診センターも運営しており、この地域の住民や企業人の健康を疾病予防の点から支えることも責務と考えています。また、地域医療貢献を持続していく経営をきちんとしていかなくてはならないので、そこは院長の仕事と考えています。



03 お子さんを出産された後の復帰はどのようなかんじでしたか?

静岡県立総合病院勤務時代に妊娠・出産を経験しました。当時は育休という制度が無かったので産後8週で復帰し、母乳育児中でしたので搾乳しながら仕事をしていました。当直は最初免除してもらい、子供が2歳くらいから再開していました。当時は女性医師があまりいなくて、周りの先生たちも子供のいる医者をどうやって扱っていいのかわからない感じでしたね。自分が妊娠中の時は腎臓内科として独立していましたが、循環器内医師が交代で手伝いに来てくれました。復帰後に腎臓内科の人員を増やしてもらい腎臓内科医2人でやりくりをするようになりました。仕事量は2人分以上で、ハードしたが徐々に人数が増えてきました。



04 家庭を持った時や出産後に仕事を継続するために家族と考えたこと、ルールなどありましたか?

最初、産婦人科医として研修していたので子供は早く生む方がいいかな、と思って卒業後2年目に結婚しました。結婚する時に夫婦できちんと決めた訳ではないのですが、医師になるにはとても時間がかかるし、自分は負担していないけれどお金もかかっている。そうやって医師にさせてもらったのだから医師を続ける事が当たり前で、夫も同じように考えていました。子育てと仕事のやりくりは夫の両親、特にお母さんが全面的に協力してくれました。子育てについては、普段は必要以上にお願いしない、逆にこちらがお任せする時は全てお任せして仕事に集中するという方針でした。



05 家と仕事のバランスに関して自分で気にしているところは?特にお子さんとの向き合い方はどうでしたか?

子育てに集中しているときはそこに集中して楽しんでいましたし、地道な母親としての事は最低限ですが、しっかりやっていました。手作りのぬいぐるみとか、勉強道具の名前書きとか。3人の息子が小学生の間の足掛け12年間は夏休みの宿題とか、特に自由研究には手をかけました。その中でも「自分の事は自分で考え、自分でやる」、と育てていたので小さい時でも旅行などのお泊りなどがあるときは子供が自分で考えて支度ができるようになっていました。

中学校になったら息子たちのコントロール難しくなるだろうと思っていましたので、自分の事は自分で考えさせるようにしていました。それでも腎センター長になったころは息子3人が中学生、高校生の頃で、いろいろ大変な経験をしました。

ただ子供に関わる部分が大変になるからと、仕事を抑えて子どもとの時間を作ったところで子供たちをコントロールすることはできないだろうとも思っていましたので、仕事のスタンスを変えず、子供たちにはあまり干渉しないようにしていました。

距離感はあったけど相談はしてくる、そんな感じでしたね。



06 仕事を続けている中でだんだん立場が変化してきた時に、自身の意識がどう変化しましたか?

最初の腎センター長になってトップになったのは、他にやる人がいないからやるしかない、という感じでした。臨床工学室長になったのは透析に関わる臨床工学士を増やす必要があったのと、臨床工学士の業務をコントロールしてあげる必要があるという背景がありました。臨床工学室は皆が働きやすくなるために自分が言い出して作ってもらった部門なので自分がやるべきものだと思っていました。

副院長になったのは病院が地方独立法人化したことがきっかけです。職員が仕事をしやすくするためにどうしたら良いかと考え、当時の院長に色々お願いをし、自分でも動いていたら、当時の院長から昇進の声がかかりました。この時は腎臓内科の業務にかかわる時間が減ってしまうと考えましたので下の先生達にも相談しました。若い先生たちも考えてくれて、副院長になったほうがいいと背中を押してくれました。

この頃、「この病院はこうでなきゃいけない」と考えることがいくつかあり、それは腎臓内科の中で出来る事ばかりではないんですね。そう考えると病院を変えていくには副院長という臨床とは違う責任を持ち、管理者としての立場でいる事が良いと思いました。

もう一つの大きな人生の転機になったのは日本腎臓学会の男女共同参画に関わった事です。腎臓内科は女性が多かったので、男女共同参画の取り組みが早く、男女共同参画委員会の初代の委員に登用していただきました。ここで学会活動をさせていただくうちに、病院の外の世界が一気に広がりました。



07 自分の中にある働く目的とか、仕事を続ける意欲やモチベーションは何でしょう。

医師になるって大変なことだと思うんですよ。その中でも私は大学6年間育ててもらった。そうすると簡単に辞めるなんて考えられない。もう一つ、私は高校生の時に交換留学でアメリカに1年いた事も私の意識に影響しています。

アメリカでは女性がみんな職業を持っていて、しかも年配の女性が自分のキャリアアップを考えている。そういう姿を目の当たりにしてやはり女性も手に職を持つべきなんだろうなと意識しました。

今は下の人たちと仕事をしていて、若い先生たちが育っていくのが楽しい。そして、「この先生にこういう良いところがある」とわかると自分も真似して育つことが出来る。そういう経験が楽しくてモチベーションにつながっていると思います。



08 上司・同僚に対して一緒に仕事をする際に意識する事、意識してもらいたい事は?

今のやり方よりもっといいやり方を探していくと職員も満足するし、患者さんも満足するし、効率よくなると思います。皆にとっていい方向は何だろう、と考えて、お互いの話を聞く。色々な意見を聞いて、理解しあって変えていく事が大事ですね。

子育てだったり自分の体調だったり、お互いに補完しあいながら仕事をしていけると良いと思います。医師に限らず、職場の仲間に何かあったらお互いにサポートできるような意識はこれから広がっていくと思います。



09 後に続く方たちへアドバイスがあれば。

自分のキャリアを大事にすることは絶対大切です。子育ても大切ですが、子供が親の手を必要とするのはほんの一時。子供が離れたときに自分が何をするかという先のことを少し考えて今何をするべきなのか、っていうのはよく考えたほうが良いと思います。

現場を離れないでずっとキャリアを伸ばすという意識を持ってもらえると良いと思います。



【まとめ】

今は静岡県で女性院長と言えばこの方、という程の森先生ですが、お話を伺って結婚・出産・子育ては私たちと同じように、むしろそれ以上に大変な思いをしてキャリアを継続してきたことが分かりました。その中で医師になった事、キャリアを積んでこられたことは「育ててもらった」という感謝が根底にあり、若い医師と共に自分も育っていきたいという常に前進指向は見習わずにはいられません。いつもより良い方向へ、そして広い視野を持つ意識、チャンスがあればまずはやってみる、という気持ちが伝わりました。


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