自分の頑張れる限界を超えないで頑張る
キャリアも家庭も大切に。

浜松医療センター周産期センター
センター長 芹沢麻里子先生

  • 福井医大(現:福井大学医学部)卒業後、浜松医大産婦人科に入局、聖隷三方原病院・浜松医療センターの産婦人科医として勤務を続け、2022年には周産期センター長として地域の周産期医療を支えています。
  • プライベートでは大学卒業後産婦人科専門医となってから同じ医局の産婦人科医師とご結婚されて娘さんの子育てを経験していらっしゃいます。


01 今までの経歴を教えてください。

福井医大(現福井大学医学部)を卒業しました。福井も素敵な所でしたが、高校まで静岡県東部で育ってきましたので青い空に富士山が見られる所に住みたいと思い静岡に帰ってくることにしました。診療科は学生時代から外科系に進むことを考えていて、最終的に産婦人科に決めました。

浜松医大に入局後2年目に聖隷三方原病院で研修となり、人生の大きな出会いに繋がる上司に巡り会えました。超音波診断を教えてくださったのが当時の部長で、もう一人別の施設にいた超音波診断の先生とお二人に指導をしていただきました。その先生方の指導で医師3年目には国際学会で発表する機会をいただき、young investigator awardという賞を受賞しました。その時に人から評価されるという成功体験をしたことから、臨床研究の楽しさを知ることができ、周産期医療を続けていこうという気持ちが強くなりました。



02 今はどのような業務を担当されていますか?

浜松医療センター(旧県西部浜松医療センター)の周産期センターの立ち上がりと同時に今の施設に異動になりました。そのタイミングで私は産婦人科ではなく新生児科の所属となり新生児医療をほぼ3年学びました。その後産婦人科所属となり、若い先生方も増えました。現在は周産期センターのセンター長として産婦人科の責任者となっています。産婦人科以外では医療安全管理者や、コーチングの勉強も行い、男女問わずスタッフが安全に子育てしながら、子どもがいなくても自分の時間も大切にしながら仕事を続けられるような環境つくりにも関わっています。



03 お子さんを出産された後の復帰はどのようなかんじでしたか?

2000年1月に出産をして、その年の4月に新生児科ではなく産婦人科に復帰しました。妊娠したら辞めるのが当たり前の考え方が主流の時代、産休を取った医師としてはこの病院で最初だったと思います。復帰した時に、当時の上司から「子供を産んだ女性の先生にも配慮して仕事が続けられるようにするよ」と言われましたが、当時の病院は育休がとれる雰囲気ではありませんでしたし、職場には女性医師専用のロッカー室すら無い様な状況でした。ただちょうどその時にお子さんがいる女性の先生が2人いらっしゃったので色々アドバイスをいただきました。当時預けていた認可保育園も理解があって柔軟に対応してくださっていたので助かりました。当時は子供を持った医師が今まで通り働くのであれば、子供を保育園から迎えに行った後、仕事が残っていると子供も病院に連れて残りの仕事をやっていく必要がありましたし、夜中に子連れで出勤することもありました。これが正しいとは思いませんがその当時はこのような形ででも、仕事を続けられれば良いと思っていました。

夫も同じ職場にいましたので何かあったら相談して手の空いている方が対応することにしていました。夫婦で対応できない時は義母や実母にお願いしたこともありましたが数えるほどです。



04 家庭を持った時や出産後に仕事を継続するために家族と考えたこと、ルールなどありましたか?

結婚する前に夫と自分のこれからの仕事について話はしなかったと思います。私が「仕事はやめないよ」っていうオーラを出していたからだと思いますが(笑)。でも職場の同僚でもあったので辞めて欲しいとも思っていなかったのではないかと思います。

私の母も仕事を持っている人で、働いている母を見てきたせいか、お互いに仕事は続けるのが当たり前と思っていました。家事の分担なども何も話し合いはしませんでした。やれる人がやる、という感じでした。実際には子育てはワンオペになる事も多かったですが、私自身がこまめに動くのが嫌いではなかったこと、夫が家庭で私に完璧を求める人ではなく、私より大らかでしたので、それも良かったと思います。



05 家と仕事のバランスに関して自分で気にしているところは?特にお子さんとの向き合い方はどうでしたか?

自分が子どもの時からそういう教育を受けてきたのですけれど、今やっている仕事はきちんと完遂したいという意識があります。家庭内では時間があると「どこか行こう」、という話になります。産婦人科という仕事柄、オフのつもりで家にいても突然呼び出しがかかり、意識がオンにすぐ切り替わるのでオン・オフの切り替えをしているというより常に混ざっているのかもしれません。そして呼び出されると娘からも「行ってらっしゃい」と送り出される。夫も子供も家族みんながそういう意識でいるのだと思います。国内外の学会にもよく娘を連れて行って、一緒に観光したりしてちょっとしたところで楽しむ方法を作ってきました。



06 仕事を続けている中でだんだん立場が変化してきた時に、自身の意識がどう変化しましたか?

上司がいた時は最後は部長にすがれば良いという思いがあり、何でもやらせてもらって、自由に働いていたと思います。でも自分が様々な学会や研究会に参加して、指導医やサブスペシャリティの専門医を取って対外的に認められる立場になった時に、その資格を持っているのならきちんと後輩を指導しなくてはいけない、きちんと勉強してきたのだからその力を皆のために使おうという意識が出てきました。



07 自分の中にある働く目的とか、仕事を続ける意欲やモチベーションは何でしょう。

若い時期に学会で賞をもらってから周産期の超音波検査は自分にとってライフワークになっています。産婦人科の中でも妊娠・出産を扱う分野で、仕事自体がハードですしストレスもかかりますが、出産や新生児に関われることが好きで自分の癒しでもあります。

また下の先生を指導するための産婦人科に関連した勉強だけではなく、医療安全管理や災害対策、コーチングに関わる勉強など、新たに学ぶ機会があるとそれぞれが新鮮で楽しく新たなモチベーションにつながっています。



08 上司・同僚に対して一緒に仕事をする際に意識する事、意識してもらいたい事は?

家庭の事に関しては男女関わらず、誰でも必要な人が動けばよいと思っていますし、実際下の先生たちにはそうしてもらっています。男性医師が子どもや家庭の用事で早く帰ることも多い職場です。



09 後に続く方たちへアドバイスがあれば。

男性も女性も仕事と子育ての両立を考えた時、それぞれの許容量もちがうし、頑張れる量も違う。皆と同じものを求めなくてよいので、自分の頑張れる限界を超えないで頑張る意識を持ってほしいと思います。

人生は長いので、子育ての時間って終わってみると大変な時期って短いと感じると思います。だから、子育てだけではなく、ちょっと大変な時期は少し足踏みしても良いと思っています。



【まとめ】

何事にもポジティブで周産期の世界で走っている芹沢先生ですが、周りから見れば大変な子育てと仕事の両立も自分なりに楽しむ気持ちを忘れずに、また与えられた機会にまっすぐ取り組み、キャリアを継続してこられたことがわかります。学んで評価された事をそれだけで終わるのではなく、自分の責務として自覚し若い先生たちにつなげていく意識はきっとこれから後に続く若い先生たちにも伝わると思います。


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