「回り道も無駄じゃない」、
麻酔科医としての歩みと若手へのメッセージ

静岡医療センター
副院長 小澤章子先生



01 キャリアの出発点:麻酔科医としてのあゆみ
麻酔科医としての経歴を教えてください

北里大学の麻酔科に入局し、当時教授の田中亮先生のもとで学びました。その後、野見山延先生にお声かけいただき、国立立川医療センター(現国立病院機構災害医療センター)に勤務しました。その後、国立西埼玉中央病院(現国立病院機構西埼玉病院)に「ひとり常勤麻酔科医」として勤務し、355日の麻酔科オンコール、救急初療や緩和ケアに取り組んでいました。

勤務を始めて8年ほど経ったころ、“このまま麻酔だけでいいのだろうか”と思うようになったころ、母校の外須美夫教授から連絡があり、研究や学位への興味もありましたので、大学に戻って業務に携わることにしました。研究して海外の学会に参加し学位を取得したり、医局長としての業務をさせていただいたり充実した日々を送っていましたが、心臓血管手術の麻酔についてはすでにチームメンバーが決まっていて麻酔をする機会がなく、麻酔科医としての経験不足について迷いが生じていたころ、再び野見山延先生とのご縁をいただき、静岡医療センターへの移籍が決まりました。

こちらの施設は循環病センターででもあり、「心臓麻酔に関われる」と聞いた時は、“やっと麻酔科医として自分の中のピースが埋まった”と感じました。お声をかけていただくままに勤務先を決めてきましたが、結果として大学に戻った経験がその後のキャリアへの道を作ったのではないかと思います。



02 静岡でのキャリアステップ
静岡医療センターでのキャリアはどのように進みましたか?

静岡医療センターでは、麻酔科部長、集中治療部長を務めるようになりました。野見山延先生の院長退任を機に、一時は自身の退職も考えました。今後を想像してみて、60歳を過ぎると心臓血管麻酔や夜間の緊急対応は正直なところ厳しいのではないかと、一抹の不安を感じていました。しかし、自分がいなくなると残された常勤麻酔科医が1人になってしまうことが気がかりでしたし、心臓血管麻酔の経験を積むことで“自分の中のピースをうめていただけた”この病院への恩返しの意味もあり、また非常に仕事をしやすい環境でしたので病院に残る事を決めました。

現在は研修管理センター長として臨床研修医のプログラム責任者と感染管理責任者を務めています。10年前は臨床研修医0名でしたが、院内のプログラム責任者を増やして連携を密にしたところ定員8名となり、ここ数年、フルマッチが続いています。聖隷グループの清水貴子先生をはじめ臨床研修協議会の仲間との出会いで、さらに自分の世界観が広がったと感じています。



管理職となって感じている事や意識している事は何ですか

管理職になってから意識しているのは、「他人は変えられないけれど、自分は変えられる」ということです。何かを伝える際に少し言い方を工夫するだけで相手の受け取り方が変わり、結果としてチームが円滑に機能するようになる場面を多数経験しました。他人が悪いというより「自分の言動が足りなかった。責任は自分にある。」と考えると、かえって気持ちが楽になりました。

理想のチーム像はF1のピット作業のように、誰か一人が細かく指示を出すのではなく、スタッフ全員が自分の役割を理解して、連携して動くことができる、そういうチーム医療が理想です。



03 教育と若手医師の成長を見守る
臨床研修管理センター長としての業務を教えてください

当初はプログラム責任者は私一人でしたので、臨床研修プログラムの整備、ローテーション計画の見直しやポートフォリオ作成から始めました。文字通りゼロからのスタートでした。現在では毎年フルマッチが続いていて、県の医学修学資金制度を利用して来る研修医も増えています。



若い医師の成長を見るときどのように接していますか?

私は研修医たちに、「2年間は準備期間。3年目から専門医のための研修が始まる。そのために、この2年間をどう有効に使うかが大事である。」と伝えています。勉強は本人の意欲があってこそ身につくものですから、無理に押し付けても効果は期待しにくいです。彼らが学びたいと思える環境を整え、支えることを大切にしています。また、医師の仕事は、人の命と人生に密接に関係しています。プロフェッショナリズムとは何かを考えながら、「人間力」や「レジリエンス」を磨く必要性を伝えています。



若い世代に伝えたいメッセージは?

失敗や一見遠回りに思える事、無駄だと感じる事でも、後から振り返れば何かしらの意味を持ちます。私自身、静岡に来て、先の心臓血管麻酔をはじめとして学会の役員を経験し、自施設での研修医教育や各種のセミナーを開催して医学教育学に関わらせていただいたり、DMAT研修を受け災害現場に赴くなど、東京や神奈川にいたら得られなかった本当に幅広い経験を積むことができました。タイパ(タイムパフォーマンス)やコスパ(コストパフォーマンス)は重要ですが、一見無駄に思える経験や失敗を自分で体験して学ぶことが、人生において有益であると感じています。



04 医師としての人生を支えてくれたもの
支えになった人や出来事はありますか?

父の助言は大きな支えでした。若い頃は余裕がなく視野が狭かったですが、「最大公約数を意識し、多くの人の意見を尊重しなさい」「復元力が重要だ」「人に叱ってもらいなさい」など、いろいろな場面での助言と年齢(多くの経験)で次第に人間が形成されていったと思います。

趣味の競馬からも多くの学びがあります。大怪我を乗り越えて再起不能と言われたが復帰してダービージョッキーに輝いた騎手が、“すべてがつながっている”と言った言葉には、勇気をもらいました。

私の性格を車に例えるなら、私はベンツなどの高級車のように大容量のエンジン(能力)で余裕をもって走るタイプではありません。自身の能力は高くなく、体力があって頑丈なだけです。そうですね、軽自動車のアクセルを常にベタ踏みして必死に走り続けている感じでしょうか(笑)。少し無理をしてでも前に進んできた結果が、今に至っています。もちろん、能力や体力は人それぞれですので、自分に合った生き方を選んでほしいです。」



05 女性医師へのメッセージ
女性医師としてのご経験から、これからキャリアを積む女性医師に伝えたいことはありますか。

私は“女性枠だから”ではなく、たまたまいただいたご縁や出会いの積み重ねで今の役割を担うようになりました。静岡で勤務させていただいたことで学会の理事や副理事長といった立場も経験でき、それは東京にいたら得られませんでした。

女性であることを理由に、可能性を自分で狭めてしまう必要はありません。もちろん、家庭、子育て、介護など大切なライフイベントと仕事をどう折り合いをつけるかで、悩む時期も必ずあると思います。

私自身、たくさん遠回りをしてきましたが、あとから振り返るとすべてに意味がありました。自分で気づいたり、多くの方の応援や叱咤激励で得た多くの体験は、私の糧になっています。どうか焦らず、失敗を恐れず、ご自身のペースで安心して歩んでほしいと思います。



小澤先生のメッセージ

「人は変えられないけど、自分は変えられる」
 「勉強はやりたい時にするのが一番身につく」
 「失敗や回り道にも必ず意味がある」
 「私は軽自動車のアクセルを全力で踏んで走ってきた。その人に合った人生の過ごし方がある。」
 「女性だからといって限界を決めず、自分のキャリアを広げてほしい」


キャリア形成や管理職になるにあたって影響を受けたと感じる出会いや出来事について

・管理職になって感じた苦労と乗り越えるために⼯夫したこと
 ・臨床と管理職業務とのバランスはどうしていますか
 ・後輩や若⼿医師へのメッセージ
 ・これからの医師のキャリア形成に求められる視点 など


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